森のようちえん ちいろば日記

Waldkindergarten Chiiroba in Nagano , Saku, おいでなんし、「ちいろば」へ^^ H28.10月より、長野県信州型自然保育、信州やま保育認定制度の「特化型」園として、認定を受けました。 新設ホームページはこちら→http://chiirobayachiho.wixsite.com/home 

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今年の一字。クリスマス会劇の長い記録(汗)その1 

DSC_17198.jpg
(今年も、ツリーをいただきました。
しょうじ様、ありがとうございました。)

ご無沙汰しておりますね。
師走、本当に駆け抜けるような12月。
ちいろばの今年度保育も、
残すところあと1日です
(預かり保育で28日まで活動しますが)。
前置きですが、
今日のブログちょっと長くなります!!!あは(^^ゞ

今年を振り返る余裕はまだなく、
いつの間にかもう冬か・・・という感じです。
でも、少しだけ。

今年は、
色々な事が挑戦でき、
色々な物事に遭遇し、
色々な事が至らなくて、
正直反省だらけの年になりました。
疲れ果て、何だか訳も分からず過ぎていった日々に、
後悔はあるものの、時は止まってくれませんから、
色々な焦燥の中で、混沌の中で、
何とか綱を渡った一年という気がしています。

子どもと毎日向き合うという事、
そして運営も背負っていくという事、
さらに、この田舎に暮らしていくという事、
それらを夫婦二人でやっていくという事は、
思っていたよりも、といいますか
やってみたからこそ、
本当の意味で、「大変」!ということを
実感しました。
頭は常に混乱状態です、ということを
告白いたします。

でも、動いたからこそ見えてくるものや、
反省できたからこそ、次のことを考えていきたい
という思いに、ようやくなれてきたかなと思います。
そうやって思えたことは、小さくも、開園から
1年半ちょっとにして得た糧だと信じています。
そして、色々な苦悩を抱えながら、
先人達も歩んできたし、歩んでいるのだという事を、
身を以て知りました。

そんな僕ら大人側の苦悩の傍に、
ちいろばっ子達は、確かな成長をみせています。
それが、僕らの苦悩を和らげてくれる、慰めである、
だから、この世界にいる同志は、
何年も、何十年も、この仕事を続けていられるのだ、
ということも実感しました。
色々な世界において、
保育者として同じく生きている方々に、
心からの敬意の気持ちが湧きあがってきた1年でもありました。

今年の一字、私にとっては「事」ですね。
とにかく色々な事を感じ、色々な事に出逢い、また
ぶつかった1年。事だらけでした。
これを受けて、来年の一字はどうしようかと考えます。
来年こそ、書初めをやってみようかなと思います。


そんな私事はさておき、
色々な事を感じた1年の中で、
子ども達が今年の締めくくりに魅せてくれた
表現劇「3匹のこぶた」。
正直、大変ではあったけれど、
劇を作り上げていく過程で感じたことの一つ一つが、
私にとってはとても大きな経験となりました。

保育の中の「劇」、というのは
私にとって全く未知の世界でした。
指導したこともありません。
話だけ、色々な方から伺っていただけです。
それに、子ども達(未満児3歳から年中)
もこのちいろばでやるのは
全く初めてのこと。

「やってみない???」と誘い、
「いいね~~~!」とはしゃぐ子ども達。
お互いわけわからなかったのが初めです。

さあ、どうなることやら?
でしたが、
僕は「考えること」、そして、「議論すること」
を大切にしようと思いました。
これができれば、正直、劇の出来不出来は関係ないとすら、
思っていました。
どういうことかというと、
「表現活動」であるからには、
何かを「産み出す」ことをしなければならないと、
僕個人は思っていました。
絵本を読んで、「3匹のこぶた」をやる!ということには
なったものの、
絵本通りに、あるいはこちらの台本通りに子ども達を
動かしては、表現活動の醍醐味が半減すると、
勝手に思ったからです。
ですから、どんな劇になっても、
「産み出せれば」、それでできたようなものと
思っていました。

大人も子どもも、誰も経験がない中で、
大胆だし、リスクもあると思いましたが、
でも、まずはやってみることにしました。
問いかけたのです。(ここから少々記録調に)

「三匹のこぶただけど、どんなお話だったっけ??」
「う~ん、こぶたがさ、あのさ、家を建ててさ、
オオカミがさ、ふうふうのふうでさ、
あのさ、飛ばしちゃうの」
と答える子ども達。
もう5,6回程、以前にこの絵本を読んでいたのだ。
「そうだよね。じゃあ、ここにわらの家をちょっと
作ってみたけどさ、どんな風なお話しか、
一緒に動いてみようか?」
「うん!」
といって、とりあえず、一緒に大まかに
動いてみる。
「オオカミは、どんなかな?
こんな風?」と問いかけると、
二、三人が手を前に突き出して
「がおーー、がおーーー」
段々みんなオオカミになって収拾がつかなくなる。
「おーーーい、じゃあわらの家のこぶたは?」
と問うと、
「あのね、家に入ってね~」
というので、「じゃあ一緒に入ってみようか?」
と誘う。
すると、オオカミになり切っている子
が何も言わずにガンガン家を叩き始めて、
「食べちゃうぞーーー!」と言う。
こぶたは「こわいーーー」と言う。

といった感じで、一通りストーリーを追ってみた。

また別の日、朝の会で「三匹のこぶた」の
絵本を読んでみる。
大まかなストーリーは皆わかってはいるけれども、
細部まではまだ理解していない。
絵本体験というのは、おそらく
相当同じ本を読みこまない限り、
細かな点まで、子どもの目は行き届かない。
ものすごく、ぼんやりとした関わりなのだ、
ということに気が付いた。
というのも、一度ストーリーを体で追ったときに、
子ども達から、台詞がほとんど出てこなかったのだ。
動的なものに、終始していて、
傍から見ると、何が何だかわからない。
其々の想いだけで動いているから、
人によってストーリーとの関わりの深さ浅さといった
バラつきがあるのを感じたのだ。
大人にすれば、台詞は当たり前だが、
子どもにはまだ台詞という感覚は育っていない、
ということがわかったのだ。
ここで、これは思っていたよりも時間がかかるな、
と感じたのだった。

そこで、尋ねてみた。
「みんな台詞ってわかる?」
と聞いてみた。
「なぁに、台詞って?」
「ほら、絵本でもさ、
~しました。みたいに、説明するところと、
話に出てくる、例えばオオカミがしゃべるところと、
あるでしょう?」
「あ~~あるある。」と子ども達。
「この間、みんな体で動いてみたけど、
台詞がないから、次何をしたらいいかわからないでしょう?」
うんうん、と頷く子ども達。
「これからまた一緒に動いてみるけどさ、
台詞を考えてみない?」
と提案すると、「そうだね!」
といって、立ち上がり、またバラバラ
に動く子ども達。

この台詞を作っていく作業を、
子どもに落とし込んでいく事が
とても難しかったのだ。
時間もかかるし、何故これをするのか、
まだ皆にはよく理解できていないからであった。
そう、「台詞」というものを、
心底まだ知らないからに他ならない。

この作業には「考える」ということが付き物である。
つまり、相手がこういったら、こう答える、
という一連のコミュニケーションを、
想像しながら進めていかなければならない。
これが第一の関門「考えて産み出す」作業でした。

一つ一つストーリーを
子ども達と一緒に追いながら、
「さあ、オオカミがでてきましたよ、
こんな時、なんていったらいいかな?」
と問いながら進めていく。
オオカミは怖さをみせればいいので、
「がおーがおー」で取りあえずは
良かったのだが、
次の瞬間、子ども達はいきなり
わらの家を、叩き壊そうとする。

子ども達の中には、
「3匹のこぶたのお話のオオカミは家を壊す」
という漠然とした印象しかないのが見て取れたのだった。
さあ、ストーリーを「考えて」掘り下げる作業の始まりだ。

「おっとおっと、オオカミっていきなり家を壊したっけ?」
といって、一度とめ、輪になって座ってこう切り出す。
「さて、オオカミはがおーといって、出てきたね。
そして、わらの家を見つけたね。
もしみんながオオカミで、中に誰が住んでいるのか
わからないのに、いきなり家を壊す?」
と言われ、
言われたから考えずに反応する子ども達の言葉は、
「壊さなーい」。。。
「じゃあ、どうするかな?」
と問うと、「わからない」と言う。
「そうか。じゃあ例えば、
WちゃんがMちゃんのお家に行ったとき、
初めに何をする?」
と、それぞれの生活経験を刺激してみる。
すると、「一緒に遊ぶー」と言う。
「えーっとね、例えばだよ、
じゃあ、知らない人のお家に初めていくとき、
その人のこと知らないのに、一緒に遊ぶ?」
「遊ばなーい」
「そうだよね。うーーーーーーん。。。。
じゃあ、誰でもいいわ。
誰かのお家に行ったとき、中の人を呼ぶのに、
どうするかな?」
「えっと、えとーこんにちはーって言う」とMちゃん。
「違うよ、まずコンコンってするよー」とWちゃん。
「なるほどなるほど、そうだよね!
中に誰がいるかわからないのに、いきなり家を壊さないよね!
もしかしたら、オオカミさんよりも大きい熊さんだったら
大変だよね」
「あっ!大変だ大変だ!!」という子ども達。

ここまで来て、なるほど
まだこの子たちには、大人側のある程度の
誘導は必要だな、と感じた。
まずは「考えること」を刺激することを、
これから積み重ねていかないと・・・

「そういえばさ、オオカミさんって
どんな動物かな?」。
「えっとね、怖い。あのね、がおーって言う!」
とだけの答え。
「もっと何かない?例えば、、、、」
「あ!耳が長い!」「黒い!!」
「そうそう、他には?そういえば、
何かほかの動物に似ていない?」
「あっ!犬に似てるね~」と言う。
「そうそう!犬さんってどんな動物?
いつもみんなが散歩する織座のミブナは
いつもどんなことしてる?」
「ゴロゴロしてる」とか「鳴いている」とか
言うので、頷いて聞いている。
「クンクンするね。この間、森の中で
ウンチクンクンしてたね!」
というMが言うので
「そうだね、オオカミもきっと鼻がいいよね。
オオカミさん、もしかしたらわらの家に
近づけば、中に誰かいるかわかるんじゃない?」
「そうだそうだ、わかるわかる!」
といって、立ち上がって、家の前でクンクンする子ども達。

そうした関わりを「しつこく」してみました。
でも、ここは丁寧に「尋ねる→答える」という繰り返しで、
とにかく子ども達に「考える」ということを
集中的に、意識的に行いました。
途中で少しだれてきて、集中力が切れてくるのは
想定済み。
多少ストレスでも、ここは「産みの苦しみ」だと
割り切って、試みを続けました。
ここで、大人側が折れて、全て答えを出してしまったら、
それこそ子ども達の「考える」機会を奪ってしまうことに
なります。
恐らく、子ども達は遊びにしてもなんにしても、
さながらの「本能」のようなもので動いていることが
多い気がします。
年齢が低ければ低いほど、尚更でしょう。
それは大変素晴らしい、言わば「子どもらしさ」
と同居しているようなものだと思っています。
ですが、「考える」ということは、一歩立ち止まる意志です。
これは意識的にでもやらない限り、
今のほとんどの子ども達は
「言われ慣れているし、やられなれている」

為に、伸び辛い感覚だと思います。
「考える」ことが、学問の始まりであり、
人間のテーマであることは言うまでもありませんね。
そして、「本能」と「思考」が結びついていく中で、
子ども達の「生きる力」は伸びていくものだと、
私はそのように思っています。

大分長すぎるので、今日はここでとめておきます^^;
ですが、そうした関わりを懲りずに続けると、
ある時、とても面白いことが起きました。
それを次回のブログにあげたいと思います。

記録のブログですね^^
しかし、感動したものですから、
子ども達がとにかくすごすぎるものだから、
これを皆さんに分かち合わないではいられないのです。

わたにぃ
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Comment

Name - まゆきょ  

Title - 

長文!!わたにい頑張って書いた~、つづきもがんばって~!
目に浮かびます子供たちの様子が。成長とともに今やってることの意味がカチっとはまってくるんでしょうね。
大変丁寧で贅沢な劇体験させてもらったんですね。全然知らなかった(ウチの息子がうっすら参加していたせいだと思うけど)
ありがとうございます。
2013.12.19 Thu 23:35
Edit | Reply |  

Name - 森昆布。  

Title - 

今のほとんどの子ども達は
「言われ慣れているし、やられなれている」

全くもってその通りだと思います。

想像力を奪っているのはじつは大人なんですよねえ・・・。
うーむ。

転ばぬ先の杖は、そーゆーことじゃないのにね!

今年もお世話になりました!
来年もよろしくお願いいたします。

って、だれやねーん?って感じ?(o´艸`)
2013.12.23 Mon 19:29
Edit | Reply |  

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